うどんのルーツは中国大陸、日本へは空海(弘法大師)が唐より伝えた?とも言われます。
麺食文化の発祥は、黄河中流域の「西安」「太原」「洛陽」の三都市を結ぶ三角地帯に行き着きます。
この地で生まれた麺食文化は、その他の大陸文化の内の一つとして日本に伝えられたと言われています。
その伝承については、遣随使、遣唐使が大きな役割を果たしたのではないかと推測されてきました。
麺が日本の歴史に登場すのは奈良朝時代初期です。そこで奈良朝(8世紀)から平安朝時代(8世紀〜12世紀)初期に遣唐使として中国大陸に渡った弘法大師がうどんを日本に伝えたという説になる訳です。
しかし、実際には麺食文化の伝承は弘法大師より約一世紀前、仏教伝来時期、百済から渡来した僧侶、寺大工によって伝えられた粉食技術こそがうどんのルールでなかったかと考えられています。
中国大陸より伝えられた麺食文化は、日本の地に定着し、日本独自の麺食はうどんとして広く一般に食されていきます。
秀吉が大阪城築城の時期、城近くの大阪・天満橋に日本初のうどん屋ができました。
江戸時代になって、家庭でもうどんが打たれるようになり、庶民のものとなったようです。
おもしろいのは、関西と関東の麺を食する気持ちの違いです。関西の饂飩(うどん)に対して関東は蕎麦(そば)の違いは材料の入手しやすさの違いが影響しています。
江戸(関東)の蕎麦屋が食事処より憩い処の性格と持っていて、お酒の準備を見計らって蕎麦を茹で、食べる方も時間をかけて楽しむのに対して、浪花(関西)の饂飩(うどん)屋は酒肴は出しませんでした。お客の方も「時間がないからうどんでも」という調子。飲み込むように食べるのが、うどんだったのでしょう。
これは、うどん屋が大阪城築城で慌ただしく動く人々を狙って始められた商売だったことに由来するのではないかと思います。